“自分らしさ”を表現するためのアイテムとなった「チェキ」
スマートフォンに、デジタルカメラ。誰もが気軽に写真を撮ることができ、それらをデータとして簡単に保存できる現代。そんな中、若者から大きな支持を得ているカメラがある。それは、インスタントカメラ「instax」。一般には“チェキ”の愛称で知られている。
1998年に発売されたチェキは、発売直後から10代の女性を中心に大きな人気を博した。その後、カメラ付き携帯やデジタルカメラの登場により、2002年をピークに売り上げは低迷。だが、現在、再びチェキは人びとの注目を集めている。デジタル社会で、アナログカメラであるチェキがなぜ今、人気なのか。
「ファインダーをのぞいて写真を撮る。そして、撮ったものが写真プリントになってすぐに出てくる。それが、デジタルネイティブの若者にとっては逆に新鮮なんです。チェキのような少しレトロ感のあるカメラで撮ることで、写真をちょっとした“贅沢”と感じられるみたいですね」と説明するのは、チェキの商品企画チームで、キャラクターやブランドとのコラボレーションカメラを担当している彼女だ。
彼女が話してくれた、若者がチェキに夢中になる理由――それは、こだわりある音楽を、あえてダウンロードではなく、CDやレコードで買う理由と近いのかもしれない。さまざまな商品やサービスにあふれている時代だからこそ、好きなものにはお金と、そして時間をかける。その姿勢や考えこそが、彼らにとっては自己表現であり、一種のステータスでもあるのだろう。
つまり、若者たちが「自己を表現するアイテム」を、彼女は世の中に送り出しているのだ。
彼女が過去に手がけてきたカメラの中でも、特に印象に残っているというのが「instax mini 8 ミニオン」。もともとキャラクター製品の人気が高いアジアのみならず、世界中で爆発的なヒットとなったこの商品は、彼女がデザインから携わり、形にしたものだ。
富士フイルム内でも“花形”と言われるチェキの企画を担当し、確かな実績を持つ彼女。自分の仕事と、それを取り巻く環境について、「今のすべてが、理想」と語る。その言葉からは、毎日が楽しくて仕方がない充実した様子が見て取れる。しかし、そんな“理想郷”に至るまで、彼女はいくつもの壁を乗り越えてきたのだ。
欧州のパートナーが最後にくれた言葉「君はベストフレンド」
入社1年目、彼女が配属されたのは、写真関連事業の海外マーケティング部門だった。富士フイルムは一般消費者向けの商品だけでなく、写真店に置かれる注文用ソフトウエアなどの商品も扱っている。その中で彼女が担当したのは、写真店の店員がフォトブックを作るための製本機だ。機器の販売戦略に関する情報を海外現地法人へ提供することが彼女の仕事だった。当然、コミュニケーションは英語。
「大学では日本の古典文学を専攻。英語はあまり得意ではなかったんです。それでも、英語の会議に出て、議事録を書いたり、英語でプレゼン資料を作ったりしないといけなくて……会議に出ても議論をすべて聞き取ることができないから、何が重要なのか分からない。議事録を書いては上司にチェックしてもらい修正する、ということをひたすら繰り返しました」
穏やかな表情で彼女は話すが、言葉がよく分からない中で仕事をする、それも社会人1年目なら、途方もない不安に襲われることもありそうだ。しかし、彼女は違った。
「海外向けの業務が中心の部署では、むしろ英語はできて当たり前。自分よりもずっと優秀な人たちがそばにいたことで、『自分にはほかの人よりも秀でていると言える特別なスキルがない。それなら、与えられた仕事をとにかく精一杯やろう』と思えたんです」
彼女は、このひたむきな姿勢で仕事をこなし、英語のスキルも伸ばしていった。
2年目の秋、彼女は、ドイツの企業に業務委託しているソフトウエア開発のプロジェクトマネジメントを担当することになった。しかし、ソフトウエア開発に関する知識は、全くと言ってよいほど持っていない。さらに、委託先の現地担当者からは、「どうして、いきなり担当を変えるんだ」と、歓迎されているとは思えない反応が返ってきたという。当時のことを彼女はこう振り返る。
「右も左も分からない中で、とにかくスケジュールどおりに、仕様書どおりに仕上げるために、委託先の担当者に指示を出して動かさなきゃ、という気持ちが強すぎたんです。ソフトウエアを実際に作る人には作る側の考えがある、ということに気づかずに、依頼内容と異なるソフトウエアが上がってきたら『これ、違います』の一点張りだった。そうした一方的なものの言い方ばかりしていたからか、ドイツ人の担当者からもなかなか仕事のパートナーとして認めてもらえませんでした」
2年目の若手社員にとって、その状況はきっとつらいものだっただろう。実際、彼女自身、当時はとても悩んだという。
「どうして、指示どおりに動いてくれないんだろうって考えたとき、それは私が信頼されていないからとしか思えなかったんです。ソフトウエアの知識もないですし……そう思うと、余計に相手との距離が開いてしまっていたんです」
そんな彼女を救ってくれたのは、上司だった。事情を話した彼女に対して、上司はこう言ったという。
「君が担当者なんだから、自分がよいと思うやり方でやればいい。失敗したってかまわない。責任を取るのが、僕の仕事だから」
「ここまで言ってもらえるのだから、自分のできることを全力でやってその気持ちに報いたいって思えました。それからは、自分の立場にこだわることをやめ、素直にコミュニケーションすることにしました。例えば、『こういう仕様にしたいんだけど、何かいい考えはない?』と質問を投げて、それへの答えに対してまた意見を言って、といったように。そうすると、相手の方も徐々に私の話をしっかり聞いてくれるようになってきたんです。まるで“君、やっと話がわかってきたな”と言われてるみたいでしたね。大事なのはソフトウエアの知識があるかないか、じゃなかった。『自分の指示どおりに人を動かす』という考え方を捨て、私はゴールを示すことに専念する。そして、そこに至るプロセスでは、率直に相談して、意見をぶつけ合う――そうすることで、だんだんとスムーズに仕事ができるようになったんです」
それから1年が経ったころ、欧州で写真関連の展示会が開催された。そのとき、委託先の担当者から連絡があったのだという。
「“君は展示会に来ないの?”ってメールが来たんです。“私はお留守番よ”って返信すると、“距離も時差もあるけれど、君のことはベストフレンドだと思っている。だから次は必ず来てね”って。あの言葉は本当にうれしかったです」
ゼロから築き上げた信頼関係――この話をするとき、彼女からは今も自然と笑みがこぼれる。
アイデアを形にする難しさはチームワークで乗り越える
それから数年後、彼女は現在担当しているチェキの商品企画に携わることとなった。仕事の内容は、営業担当者の要望や市場の動向を参考に、カスタマイズしたチェキを作るというものだ。担当になって約1年が経とうとしていたころ、舞い込んだのが「instax mini 8 ミニオン」の企画だ。きっかけは、「国内の人気テーマパークで、映画『ミニオンズ』のキャラクターを用いたチェキ用カメラとフィルムを販売するという企画。これを聞きつけたハリウッドのプロデューサーが自ら、「新作映画の公開に合わせて、ぜひミニオンをモチーフにしたチェキを作ってほしい」と提案してくれたのだという。普段からチェキを愛用しているというプロデューサーだが、当然ながらキャラクターへのこだわりは強い。そんなプロデューサーもあっと驚くような製品にしたい――素材の選択から、カメラのボディをキャラクターに見立て、レンズ部分を目玉にするといったディテールのデザインに至るまで、彼女は徹底的に考え抜くことでアイデアを一つひとつ生み出し、形にしていった。
実は、チェキの仕事に携わる前、スマートフォン用アプリ開発を担当していた時期があった。そのとき最も苦労したのが、アイデアを形にすることだった。コストやスケジュールなどさまざまな制約に阻まれ、打ち合わせを繰り返しても思うような形にならず、投げ出したくなることもあったが、彼女は持ち前の粘り強さで完成までこぎつけた。
「どんなにいいアイデアでも、実現できなければ意味がない。だからこそ、今回はとことんやりきろうと、自分が今までに得た知識や経験を総動員しました。チームの仲間も助けてくれて、なんとか形にしようと全員で同じゴールに向かっていきましたね。商品が完成したときは、皆で『これが私たちの求めていたものだ!』と手を取り合って喜びあいました。実際に製品は予想以上のすごい人気で、当初の生産計画では注文に対応しきれず、増産をかけたほどだったんです。その時期は本当に忙しかったですけど、うれしい悲鳴でした。各国の販売スタッフにも大変評価していただいて。それまでの苦労が報われた瞬間でしたね」
そう言った彼女の表情からは、大きな自信が見て取れた。
知らないことにこそ興味を抱く 必ず最後までやり遂げる
さまざまな困難に直面し続けながらも、着実に成果を上げてきた彼女。その原動力は何か。
思えば数年前、入社時の採用面接で海外勤務の可能性について聞かれたとき、彼女は「英語は得意ではありませんが、やると決めたことは、やり遂げます」と答えていた。また、新人研修後の配属面談で「どういう仕事がしたい?」と聞かれた際に口にした答えはこうだ。「やったことのないものは、なんでもやります。自分の知らないものにこそ、私は興味を持てるので」。
面接というシチュエーションでは、ありふれた言葉かもしれない。しかし、口でいうのは簡単でも、本当に未知の分野で仕事をしなければならなくなったら、最後まで頑張りきれず音を上げてしまう人も少なくないだろう。だが、彼女は言葉どおりに、知らないことにこそ興味を抱き、そしてやり遂げてきた。海外マーケティング、ソフトウエア開発、アプリ開発、そしてチェキの商品開発――それぞれの場面で、高い壁にぶつかっても、逃げることなく乗り越えてきたのだ。だからこそ、何のてらいもなく言えるのだろう。「今のすべてが、理想」だと。
きっとこの先も、どのような壁であっても、彼女は必ず乗り越えていくはずだ。そして、さらに魅力的なチェキを、まだ見ぬ商品を、世界中に送り出していくことだろう。